平安時代の初め、最澄と空海は、遣唐使けんとうしとしてほぼ同じ時期に中国(唐)へ渡り、それぞれ新しい仏教の教えを学んで帰国しました。最澄は、比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじを開き、天台宗てんだいしゅうを広めました。空海は、高野山こうやさんに金剛峯寺を開き、真言宗しんごんしゅうを広めました。

師弟のように学び合い、やがて袂を分かった二人

実は最澄と空海は、当初とても親しい間柄でした。年上で、すでに高い地位にあった最澄が、密教みっきょうを体系的に学んだ空海に教えを請い、弟子のような立場で経典を借りて学んでいたのです。しかし、ある時を境に、二人の関係は疎遠になっていきます。密教みっきょうは書物を読むだけでなく、師のもとで直接修行を積んでこそ本当に習得できる、と考える空海に対し、最澄はその後も経典の書写・貸借による学びを重視したため、次第にすれ違いが生じたのだと言われています。最澄の愛弟子だった泰範(たいはん)が、空海のもとにとどまり戻らなかったことも、二人の関係に影を落としました。学びへの向き合い方の違いから、時代を代表する二人の名僧が、次第に距離を置くようになっていった、という人間味のあるエピソードです。