教え

法華経ほけきょうを中心の教えとしながら、念仏、禅、密教みっきょうなど、さまざまな教えを取り入れている点が特徴です。多くの宗派の開祖が、若い頃に比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ)で学んでいます。

開祖の生涯

最澄は766年(または767年)、近江国(現在の滋賀県)に生まれました。12歳で出家しゅっけし、19歳のとき東大寺とうだいじで正式な僧侶となりましたが、世の無常を感じ、比叡山ひえいざんにこもって修行生活に入ります。この修行の中で天台の教えに出会ったことが、後の人生を決定づけました。遣唐使けんとうしとして、後に真言宗しんごんしゅうを開く空海と同じ船で唐に渡り、天台教学を学びます。帰国後、比叡山ひえいざんに**延暦寺えんりゃくじ**を開き、806年、国家に公認された宗派として天台宗てんだいしゅうが正式に開かれました。最澄は「一隅を照らす者、これ即ち国宝なり」(それぞれの持ち場で光り輝く人こそ、国の宝である)という言葉を残しており、今も広く知られています。

今も続く荒行「千日回峰行」

比叡山ひえいざんには、今も受け継がれている、想像を絶する荒行があります。「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」です。7年をかけて、のべ975日間、比叡山ひえいざんの峰々や京都市内の寺社、あわせて260か所以上を、深夜2時に出発して1日約30km(後半は最大84kmにおよぶ日も)歩いて礼拝するという修行です。7年間の総距離は、なんと地球一周分(約4万km)にもなります。中でも700日を終えた後に行われる「堂入り」は最も過酷とされ、9日間、断食・断水・不眠のまま真言を唱え続けます。この修行には「不退行」という掟があり、途中で行を続けられなくなった場合は自ら命を絶つとされ、行者は死出紐(しでひも)や短剣を常に携行します。これを満行した方は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と呼ばれ、「生き仏」として敬われます。記録に残る満行者は、これまで50人ほどしかいません。