奈良時代(8世紀)、聖武天皇しょうむてんのうの治世には、疫病の流行や災害、政治的な混乱が相次ぎました。聖武天皇しょうむてんのうは、仏教の力によって国を安定させようと考え、全国に国分寺・国分尼寺を建立するよう命じ、その総本山そうほんざんとして東大寺とうだいじと、本尊である大仏(毘盧遮那仏)を造立しました。

国民の半数近くが関わった、一大プロジェクト

東大寺とうだいじの大仏づくりは、当時としては空前の規模の事業でした。記録によれば、材木を運ぶ人、資金を出す人などを含め、延べ260万人もの人が関わったとされています。当時の日本の人口はおよそ500〜600万人と推定されており、実に国民の半数近くが、何らかの形でこの事業に関わったことになります。この背景には、民衆から絶大な支持を集めていた僧・行基(法相宗ほっそうしゅう・道昭の弟子)の存在がありました。行基が全国を回って協力を呼びかけたことで、身分の高い人だけでなく、多くの庶民が、進んでこの大事業に加わったと伝えられています。