明治元年(1868年)、新しくできた明治政府は、天皇を中心とした国づくりのため、神道を国の中心的な宗教として位置づける方針を打ち出しました。そのために出されたのが「神仏分離令」です。これは、それまで長い間、神社とお寺が一体となって信仰されてきた「神仏習合」のあり方を分離し、神社から仏教的な要素を取り除くことを求めるものでした。
政府の意図を超えて広がった破壊
神仏分離令そのものは、あくまで神社と寺院を制度的に区別することを目的としたものでした。しかし、この方針が「仏教を排斥してもよい」という空気を各地に生み、一部の神職や民衆による、寺院・仏像・経典を破壊する運動へと発展していきました。これが「廃仏毀釈」と呼ばれる出来事です。
全国で失われた、数えきれない文化財
廃仏毀釈の影響は地域によって大きな差がありましたが、特に激しかった地域では、寺院の大半が取り壊されたケースも記録されています。貴重な仏像や経典が焼かれたり、二束三文で売り払われたりし、日本の仏教文化財の多くが、この時期に失われました。この混乱は数年にわたって続き、後に政府自身が行き過ぎを収拾する方向に動いたことで、次第に落ち着いていきました。今、私たちが目にしているお寺や仏像の多くは、こうした激動の時代を乗り越えて残されてきたものだといえます。

