教え

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」の念仏を、すべての人が等しく唱えることで救われるという教えです。開祖・一遍上人いっぺんしょうにんは、諸国を巡り歩きながら念仏を広めたことで知られています。

開祖の生涯

一遍上人いっぺんしょうにんは1239年、伊予国(現在の愛媛県)の武士の名門・河野家に生まれました。出家しゅっけ後、法然上人ほうねんしょうにんの孫弟子にあたる僧のもとで12年間浄土の教えを学びましたが、一度故郷に戻り、家族と共に半僧半俗の生活を8年ほど送ります。その後、親類間のいざこざをきっかけに一念発起し、諸国を巡る旅に出ました。1274年、熊野で神託を受けたとされ、これを機に「賦算(ふさん)」、念仏を記した札を人々に配りながら諸国を巡る「遊行(ゆぎょう)」を生涯の実践としました。九州から東北まで、日本各地を歩き続け、1289年、51歳で生涯を終えました。法然上人ほうねんしょうにん親鸞聖人しんらんしょうにんと並び、日本の浄土教を確立した僧として知られています。

「踊り念仏」について

一遍上人いっぺんしょうにんを象徴する実践の一つに、念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」があります。そのルーツは、平安時代中期の僧・空也上人にさかのぼるとされ、一遍上人いっぺんしょうにんはこの空也上人を「我が先達なり」と称えています。一遍上人いっぺんしょうにん自身の踊り念仏は、1279年、信濃国(長野県)を旅していた際、仲間の僧たちと念仏を唱えていたところ、自然発生的に始まったと伝えられています。3年後の1282年、相模国・片瀬の浜(神奈川県藤沢市)で行った踊り念仏は特に有名で、身分の高い人も低い人も、雨のように押し寄せて見物したと記録されています。この踊り念仏は、後に「お盆」の先祖供養くようと結びつき、現代の「盆踊り」の起源になったとも考えられています。当時の様子を描いた国宝「一遍上人いっぺんしょうにん絵伝」に残る踊りの動きを分析した研究では、現在の盆踊りの踊り方との共通点も指摘されています。